お金持ちになれる人とはどういう人なのでしょうか。
生まれた時からお金持ちの家庭に生まれる人もいますが、そんな人は少数でしょう。
羨ましく思っていてもお金持ちにはなれません。
ではお金持ちではない人は、どのようにしてお金持ちになったのでしょうか。
ここではお金持ちになれる人の特徴を解説していきます。
このページを見ている方は少なくともお金に興味があるはずですので、参考にしていただければ幸いです。
何の取り柄もない人がお金持ちになる為にはなにをすれば良いのでしょうか。
答えは簡単で「お金持ちになる為」の行動を起こせば良いわけです。
中には「お金」を意識せず、好きな事に全力で取り組んでいた為に、結果お金持ちになった人もいます。
例えば、プロ野球選手や一流芸能人など。
このような人達は好きな事を全力で続けていた為、気付いたらお金持ちになっています。
他には、有名な起業家などの体験談で
「世の中の為になる事をやっていたら事業として成功していた」 などもよく聞きます。
お金を特に意識せずにある事を続けた結果お金持ちになれる人もいますが、それは世の中でほんの一握りの人間です。
プロ野球選手や芸能人などは誰もがなれるものではありません。
針の穴を通す程の狭き門です。
そしてスポーツ選手や芸能人などになるには年齢制限もあります。
スポーツ選手や芸能人には目指せる期間がありますが、お金持ちはいつからでもなれます。
今この記事を読んでいる方も今から行動を起こせばお金持ちになるチャンスはあるのです。
野球選手や芸能人になれなかった普通のサラリーマンでも、主婦でも、学生でもお金持ちになれる道は常に拓けているのです。
お金持ちになれる人はいずれ来るチャンスを逃しません。
お金持ちになれる人は常に「チャンスを掴む準備」をしています。
言い方を変えれば、
「チャンス」と言うのは常に準備している人にしか訪れないのです。
大抵の人はお金持ちになれるチャンスが訪れているにも関わらずそれに気づかずスルーしてしまっているのです。
その理由は、お金持ちになる準備を常にしていないからです。
常にチャンスを掴む準備をしていないが為に、チャンスをチャンスとして認識する事が出来ずスルーしてしまっているのです。
お金持ちになれる人はお金に対する執着心が半端ではありません。
1日中、お金持ちになる事を考えています。
少なくとも私や私の周りにいるお金持ちはそうです。
自分のビジネス、お金の稼ぎ方に本気で取り組んでいます。
私がお金持ちになれたのも、チャンスが訪れた時にそのチャンスを逃さなかったからです。
普通の人がチャンスと気付かない事をチャンスと捉え、いち早く行動できたからお金持ちになれたのです。
常にお金持ちになりたいと考えていた(準備していた)為、お金持ちの波に上手く乗る事が出来たのです。
お金持ちになれる人は、「お金が稼げる」と思えばすぐにチェレンジする人です。
誰よりも行動が早く、お金に対して敏感です。
チャンスを寝かせないのです。
例えそれが失敗しようともまずはチャレンジするのです。
私はサラリーマンになりたての頃にある縁で六本木ヒルズの会員制クラブで行われた交流会に呼ばれたことがあります。
そのクラブは六本木ヒルズ森タワー51階にあり、六本木界隈を一望出来るようなまさにお金の匂いを感じさせる所でした。
勿論、そこに来ている人達のほとんどが“お金持ち風”な人ばかりでした。
実際には、当時の私のように大した事ない人もいたと思います。
この交流会で知り合った人の中に、株式投資で富を築いた人に出会いました。
自身で投資の本も出版しており、その業界では有名な方でした。
その人と雑談する中で、
「株式投資はとにかく儲かるよ。」と教えてくれたので、翌日には株式投資用の口座を開いていた事を覚えています。
その時は株式投資のイロハも知らない、ずぶの素人でしたがまずは行動したのです。
そこから今ではどっぷりと株式投資にはまっていて資産を運用しています。
株式投資に限って言えば、私の周りのお金持ちは皆当たり前の用に行っています。
皆きっかはそれぞれだとしても何かしら株式投資からお金の匂いを感じ取ってチャレンジしているのです。
株式投資のきっかけを与えてくれたこの交流会に呼ばれたのも
私が常にお金持ちになる準備をしていたからです。
私は学生時代にアパレルの事業を起こした事もあり、
その繋がりでお金持ちの人と知り合う機会が増えたのです。
そのような人達と交流していくうちにこのような交流会などに呼ばれるようになったのです。
今考えても若い頃の自分の行動力には素晴らしい物があったと思います。
お金持ちになれるように自分からどんどん行動していました。
お金持ちになれる人の向上心は非常に高いです。
人よりも数倍稼ぐわけですから結果として特別な能力を得ている事になります。
その為には沢山勉強をし、それを実行していく必要があります。
私もお金持ちなるために、とにかく多くの本を読みました。
・株式投資の本
・不動産投資の本
・不労所得の本
・ネット副業の本
・せどりの本
・海外転売の本
など挙げたらきりがないと思います。
そして勉強した事はそのまま寝かせておかずに、すぐに実行に移しました。
不動産投資の本を数冊読んだ後にはお金も無いのにすぐに不動産屋と商談をしていましたし、副業の本を読めばその日には真似をしました。
人に言われなくても、
自分からお金の匂いがする事に対して反応し、勉強していかなければお金持ちにはなれません。
お金持ちになれる人は24時間お金の稼ぎ方を考えています。
そしてそれをすぐに実行出来る行動力も持ち合わせています。
以前私は、「どうすればお金持ちになれるのか」。
それだけを考える為だけに、鈍行列車に乗って宛もない旅をした事があります。
丸一日それだけを考える為に時間を潰したのですが、帰宅する事には自分なりの答えを見つけました。
その答えの全てをこのサイトに掲載してるわけですが、
当時は悟りを開くような感覚だったのでしょうか、モチベーションが非常に高まり今の生活に繋がっています。
勉強をして学んだ事を自分なりに考え実行できる事がとても大切です。
私には、2つ年上の、あるお金持ちの友人がいます。
子供の頃から仲が良かった分彼の多くの事を見てきました。
彼が育った家庭環境はお世辞にも良いとは言えません。
しかし、今では成功し立派なお金持ちとして生活しています。
今でこそ多くのビジネスを手がけている「お金持ち」ですが子供の頃は非常に苦労しており、努力とリスクを経験して成功を掴んでいます。
彼の事を例に出して「お金持ちになるには生まれ育った環境は一切関係ない」と言う事を紹介させて下さい。
彼は20代半ばよりお金持ちとして成功しています。
しかし家庭環境は悪かったわけです。
ではどのようにしてお金を得たのでしょうか。
生まれたのは私と同じ東京ですが早くから両親が離婚した事もあり、年金暮らしの祖母と2人で団地で暮らしていました。
小学校中学校の時の身なりは決して綺麗とは言えず貧しさが伺えました。
彼は自分の家庭にお金が無いことを常にコンプレックスに思っており「いつか必ず成功してお金持ちになってやる」と常に言っていた事を覚えています。
中学卒業と同時に働きに出たのですが、15歳16歳そこそこの子供が就ける仕事はあまりなかったようで、
彼がまず就いた仕事は土木関係でした。
土木関係の仕事をしながら夜は他の仕事をこなしていました。
ハードな生活をしておりましたが、とにかく働いていたのでその分貯金も貯まっていきました。
途中、定時制高校に入学し20歳で高校を卒業しています。
20歳で高校を卒業した時には貯金が1000万円ほど貯まっていましたようで、このお金を元手にワンルームマンションを購入しました。
購入したマンションは自分で住むわけではなく、人に貸し家賃収入を得たのです。
ワンルームマンションを購入してからは、お金が増えていくまであっと言う間でした。
このマンションを担保に不動産を徐々に増やしていき家賃収入を増やしていったのです。
マンションはローンを組んで購入していましたが、ローンの支払いよりも家賃収入の方が上回っていたのでローンの支払いには苦労しなかったのです。
この時私は18歳前後で高校を卒業したてでした。
「ローンを組むのは怖くないのか?」
「不動産投資で借り手がつかなかったらどうするのか」
このような事を質問したのですが、彼は不動産投資についてとても勉強をしていましたので、自信があったのでしょう。
「不安よりもお金持ちになりたい気持ちの方が強かったので気にしなかった」と言った事を覚えています。
彼は気づくと若い頃にすでに不動産投資だけで月に80万円程稼いでいました。
不動産投資をはじめて数年で、
保有している不動産を購入時よりも遥かに高い金額で購入したいとの申し出があったのです。
この時に3000万円程利益を出しており、この資金を元手に新たなビジネスと不動産投資を再開したのです。
今では不動産投資や自分のビジネスだけで月に何百万の収入があり毎日自由な生活を過ごしています。
私も彼もですが、どちらかと言うと一般家庭よりも貧しい家で育っており、
その分お金に対する執着心が強かったのかもしれません。
生まれ育った環境が悪くても、努力や意識次第でお金持ちになれるのです。
ここからは実際に富裕層として有名な方たちの生い立ちや逸話を紹介していきたいと思います。
起業家の中には子供の頃すぐに両親が離婚したり、養子にだされたりする人がいます。
しかし、そんな家庭環境を物ともせず自らの足で成功を掴んでいるのです。
ジェフ・ベゾスはアメリカのネット通販会社アマゾン・コムの創業者であり最高経営責任者(CEO)です。
2017年アマゾン・コムの株価が高値を付けた事によりベゾスの総資産額は約906億ドル(約10兆円)を超え為世界一の富豪としてランクインしています。
生まれは、ニューメキシコ州アルバカーキ。
ジェフ・ベゾスの母、ジャッキーはベゾスを10代で出産しています。
すぐに両親が離婚し、母親に引き取られました。
母はベゾスが5歳の頃にマイク・ベゾスと再婚しマイクはベゾスを養子にします。
この時にテキサス州のヒューストンに引っ越しをしています。
ベゾスは10歳になる頃までマイクが本当の父親であると思っていました。
母はベゾスの本当の父親に自分たちの生活に一切関わらにように言っていた為、当時サーカスのパフォーマをしていたベゾスの本当の父親はベゾスがここまで立派に育っている事を知りませんでした。
ジェフ・ベゾスは小さい頃から好奇心旺盛で子供の頃の自分を発明家だったと言っています。
例えば弟妹を部屋に入れないように電気アラームなどを自作したり、セメントを詰めたタイヤを使って自動ゲートを作成しています。
その他太陽電池を開発しようとした事も。
幼少期にベビーベッドで寝たくなかった彼はベビーベッドのネジをすべてバラバラにしてしまったと言う話もあります。
子供の頃から非凡な才能があったようですが、
発明家になりたかったジェフ・ベゾスはそのままの気持ちで大人になったようで、自分が成功したのはそんな自分を妻が理解してくれたからだと語っています。
iphone、Macなどで有名なアップル社の共同創業者の一人で、
アメリカで最も有名な起業家なのではないでしょうか。
株式公開時には2億ドルを手にし、25歳という若さでフォーブスの長者番付になっています。
様々な理由でジョブスは誕生以前により養子に出される事が決まっており、ポール・ジョブズ、クララ・ジョブズ夫妻に引き取られ育てられました。
生母とは、養母が亡くなってからはじめて対面しましたがこれはジョブズが30歳を過ぎた頃の話です。
幼少期のジョブズは好奇心旺盛で話題に欠くことがなかったようで、
「ヘアピンは電気を通すのか」と言う好奇心からヘアピンをコンセントに差し感電した経験もあります。
また小学生の頃は授業中に花火をしたなどのエピソードがあります。
11歳の知能検査で「高校2年生レベル」との答えが出て中学には1年飛び級で進学しました。
高校の頃にスティーブ・ウォズニアック(アップルの共同創業者の一人)と出会いました。
「ブルー・ボックス」という装置を使えば無料で長距離電話をかけるという不正行為の記事を見つけたジョブズとウォズニアックは自分達でオリジナルのブルー・ボックスを作り上げています。
ウォズニアックはこの装置を作る事で満足しましたがジョブズはその装置を1台100ドル以上で売りまくりとても儲けています。この頃から商才を発揮していたようです。
大学は両親が一生をかけて貯めた学費を、意味のない教育に使うのに罪悪感を抱いたために中退しています。
本田宗一郎はトヨタ、日産と並ぶ日本を代表する自動車メーカー「ホンダ」の創設者です。
その経営手腕は天才そのもので、凡人が彼の事を真似しようとしても無理でしょう。
小さな町工場からスタートし、バイクの世界大会に挑み、そこから四輪自動車の大手ホンダをつくりあげました。
その生き方は破天荒ですが、ビジョンが明確にあり自信に溢れた生き方をしています。
本田宗一郎は鍛冶屋の両親の元、静岡県で生まれます。
初めて自動車を見たのは小学生の時です。
16歳の時に自動車修理工場「アート商会」に入社します。
はじめの内は社長の子守りばかりさせられ、その後の厳しい仕事に耐え抜いた彼はそこの社長に唯一のれん分けを許され独立しました。
自動車修理工場を順調に拡大していき、すぐに社員50人を抱える会社に成長させています。
31歳の時には自動車修理工場のビジネスだけでは物足りなさを感じ、「東海精機重工業株式会社(現:東海精機)」を設立しました。
この会社は自動車部品を製造する会社で当時の最先端を行っていたトヨタへ部品を納品させる事になります。
後にトヨタの資本を受け入れ関連会社となりますが、戦争中の地震が原因で工場に打撃を受け会社をトヨタに売却する事になります。
トヨタに会社を売却し手元に資金が多く残っていた本田宗一郎は、旧軍が使用していた小型エンジンを自転車に取り付けて走らせると言うアイディアを思いつきます。
すぐに実行に移し開発し、これが大ヒットして本田技研研究所(現ホンダ)を設立しました。
その後、バイクで会社を急成長させます。
22歳の時には自動車修理工場をヒットさせ、当時は高級であった自家用車を2台所有し、乗り回していました。
時には飲酒運転で芸者を乗せ、川に落ちることもあったようです。
地元の静岡県浜松市では有名な青年実業家と知られ、度々新聞に取り上げられていました。
また、若い頃から破天荒な言動と気性が荒い性格をしていて、
従業員が半端な仕事をすると、スパナを持って追いかけたり、従業員を灰皿で殴る事もしばしばありました。
現代社会では絶対に認められない事ですが、
税金を巡って税務署と喧嘩をし、ホースの水で税務署を水浸しにした事もあります。
当時の本田宗一郎の振る舞いは「普通」とはかけ離れていましたが、それでもホンダを超一流の会社にしてしまう彼は天才的な経営者だったからです。